2011年11月8日火曜日

原子炉廃炉30年。大事業を将来に役立てるために

先日、ある心理学者の方がとても興味ぶかいことをおっしゃっていました。
福島原発事故にともなう「想定外の災害」という東京電力のいいわけは、「私はバカです」といっているのに等しい。「想定外」とは「想像力が足りない」、つまり頭が悪いということで、もっとも恥ずかしい言い訳のひとつである。堂々と主張するその神経を疑う。
なるほどな、と思いました。実際、巨大地震や津波災害の危険性は以前から指摘されていたにもかかわらず、東京電力はその対応をしなかった。想像する契機があったのに想像できなかったわけで、バカといわれても仕方ないのかもしれない。

これに対して、その方が褒めていたのが東京ディズニーランドの災害対応です。東北の被災が大きかったのであまり話題になりませんが、ディズニーランドのある千葉県浦安市も震災で大きな被害を受けました。しかし、ディズニーランドでは何万人もの人間が無事に一晩を過ごし、パニックも起こらなかったのです。平素から高い防災意識をもち、キャリア(従業員=アルバイト)に訓練をほどこしていた結果だと言われています。
東京ディズニーランドの見事な防災対策と比べると、東京電力の「想像力の不足=バカっぷり」は際だっている、といっても過言ではありません。

とはいえ、人はわかっていても愚かな行いをしてしまうものです。過ぎたことをあれこれいってもあまり建設的ではありません。「これから」のことを考えましょう。

先日、内閣府原子力委員会が福島原発の廃炉に関して、初めて長期的な見通しを発表しました。廃炉まで、少なく見積もっても30年以上かかる、ということです。
30年。口でいうのは簡単ですが、決して短くありません。原子力委員会の人も、東京電力の人も、30年後にはかなりの人数が鬼籍に入っていることでしょう。福島原発の廃炉は、次の世代、ひょっとすると次の次の世代にまで受け継いでいかなければならない長期的な大事業です。

後世のために、その過程をムダにしてほしくないな、と思っています。安全に、粛々と廃炉に向かうのは当然のこと。でも、それだけで終わってほしくない。過程を逐一記録し、蓄積し、研究成果のかたちでまとめてほしい。

今後、原子力発電がどうなるかはわかりません。日本国内ですら、全く無くしてしまおうという考えから、今後もガンガン建設していこうという考えまで、様々な意見があります。
どんな道をたどるにせよ、「原子炉を廃炉にする」のは先例の少ない、極めてまれな事業であることに違いはありません。その過程ひとつひとつを記録することは、今後必ず役に立つはずです。廃炉に至るまでの過程ばかりでなく、周辺地域の自然の様子、町の様子、人の様子についても、記録や研究を怠らないでいただきたい。

記録とか研究とかは地味な事業で、基本的には資本主義ベースに乗りにくいものです。儲かるか/儲からないかでいったら後者のほうがずっと多い。現在、大学などで行われている研究の多くもそうでしょう。
ただでさえ東電への税金投入や増税が問題になっているときに、そんなことに裂くお金があるか、と考えれば、ムダにしか見えないかもしれません。コストを削減しようとすれば、いの一番に切り取られるところでもあります。

でも、この記録と研究は必ず役に立ちます。後世の人のためになる。うまくすれば、マネタイズだって可能かもしれない。だって、原子力発電所の事故→閉鎖→廃炉なんて、ほとんど前例がないんです。日本のように人口が密集した国では唯一の事例といっていいでしょう。

東京電力の災害対策はバカといわれても仕方のないものだったかもしれません。でも、今後の対応はバカのそしりを受けるものであってほしくないな、と思っています。
「福島の事例があったおかげで本当に助かった」
「日本の努力に感謝したい」
将来そういってもらえるよう、今回のケースを単なる「事後処理」と考えず、将来につながる事業として対応していってもらいたいと思っています。

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